負けるもんか! Emiの聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺の記録

聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺を患い、肋間神経痛・頻脈もある私の備忘録。

父の入院〜その① 救急搬送

2015.3.23

 

入院の手続き等を済ませた母から電話があったのは夜9時〜10時頃。

私は忘れっぽいので、また実家へ忘れ物でもしたのかな〜くらいに思っていました…

 

 

 

数年前に父が腰痛で動けなくなったことがあったのですが、短期間に2度入院したのがアダとなり、足腰が弱まってしまいました。

 

家の中でリハビリをしていましたがなかなか筋力がつかず、運転も危なくなってきたので免許も返納。


母が自転車で買い物に行こうとしましたが、よろけて乗れず、三輪自転車を買うも重くてこげず。
買い物は私が行った時に。その他はコープを利用。

 

この頃の父はほとんど一日中こたつの中。

近くにポータブルトイレを置き、寝起きはこたつ。入浴はデイサービス。

 

母が老老介護をしていたので、両親のサポートをするために2週間に一度実家へ行っていました。

 

 

 

でも、母と買い物に行くくらいで、肝心の父のトイレの介助は私のいる時間にはありませんでした。

恐らく、娘に見られたくなかったんだと思います。父親のプライド…

 

その日は実家へ行き、夕方自宅へ戻ったのですが、私が帰った後父が痙攣を起こし救急車で病院へ。

 

f:id:healthy262:20180228165830j:image

 

翌日、急遽休みを取り母とお見舞いへ行った時の父は元気だったのでホッとしました。

色々検査をしてもらい、痙攣は脳の萎縮によるものだとわかりました。

 

 

 

この時から、私の生活はガラリと変わり週2日の休みは実家へ。

母と一緒に父のお見舞いへ行き、そのあと買い物をして母と夕方をとり夜自宅へ戻る。

父の入院で家に不安な気持ちでいる母に1日2回朝晩電話をかけました(途中から、1日1回夜の電話に)

 

仕事はサービス業ですが意外と体力勝負のガテン系で毎日クタクタ。

 

息子達の食事の支度も手抜きが多くなり、家事もロクにこなせなくなり…

 

それでも息子達は何の文句も言わずにいてくれたのが、せめてもの救いでした。