痛みの始まり(三叉神経痛)
2015年 秋
そんなこんなで色んなことがありながらも、少しずつだけど父が亡くなってからの手続きなどが進む中、高齢の母を独り住まいにしておく心配や自分の体力の限界などがあり、母をこちらに呼んで同居をする話になった。
父は国家公務員で転勤を何度か蹴り返していたこともあり、退職金で念願のマイホームを購入した。
その時の両親の嬉しそうな顔は今でも脳裏に焼き付いている。
だから、とても言い出しにくい内容だったけど、実は遺書のほかに母へ当てた手紙が父の仕事机から出てきた事がきっかけとなり、話を切り出す事ができた。
『愛する○○子へ』と記されたその手紙からは、父がどれだけ母を愛していたのかが伝わってきた。
妻が一人になる事のないように、2人で手に入れた大切なマイホームを売って老人ホームへ入所するか、又は私の家の近くへマンションでも購入するようにと書かれてあったのだ。
父は2階の書斎で自分亡き後の妻を思い、不自由のないよう色々と考えて手紙を書き、そっと机の引き出しにしまっていたのだと思うと涙が溢れた。
そして、父に背中を押され(た気になり)母へ話すことができ、母もすんなりOKを出してくれた。
でも、きっと母のことだから私の身体を気遣ってくれたに違いない。
夫との思い出の家…
ごめんね、パパ・ママ。
ありがとう、パパ・ママ。
そして物件探しが始まった。
息子たちには地元を離れたくないと言われていた。
私は子供時代に転校が多く小中学校は入学した所を卒業できなかった。友達との別れは辛かったし、地元と呼べる場所がない寂しかった経験から、自分の子供には地元を作ってあげたい気持ちが強くその意見には同意。
そして、高齢の母が住みやすい環境であること。
自然があったり、平地だったり…
そして、息子たちの職場が遠くならないこと。
などなど、予算とも相談しながら相棒と共に数件を不動産屋さんに案内してもらった。
そんなある日。
いつもと同じように仕事へ出掛ける準備で歯を磨いているときにそれは起こった。
突然、ビリっ‼️
痛いっ‼️なんだ、今のは⁉️
でも、痛みは一瞬だったから、この時は歯に染みたのかな?くらいにしか思っていなかった…