引っ越し準備
父が亡くなり、三叉神経痛が始まり、家を探し、年が明けた2016年。
母からの援助もあり、無事に家を購入する契約も完了した(援助してくれたママ、いつも付き合ってくれた相棒ありがとう)。
実家へは行っていたが、行くたびに引っ越しのダンボールが増えていく。80を過ぎた母のバイタリティーには脱帽。
父が亡くなって色々と手続きをしていた頃は、
『あんたがいないと何もできない』
と言っていた母が、
『ママはパパの転勤で何度も家中の荷造りを経験しているからね(エッヘン!)』
一人で全てやっていた自信が蘇ってきたようで、クタクタになりながらも張り切っているみたいだった。
そして、父の遺品もバンバン処分していく母の潔さ(いさぎよさ)といったら、そりゃ〜もう、凄かったわぁ。
ある時は生前父が家族のために時間を費やしてスキャナーで一枚一枚読み込んで作ってくれた写真のDVDセット集⁉️まで捨てようとした。
『これ、パパが一生懸命作ってくれたやつじゃん』
『だって誰もみないでしょ?』
さすがにそれは阻止した‼️
『こうやって作っておけば、いつかみんなでみられるだろ。』と、ニコニコしながら楽しそうに、嬉しそうに、家族を想いPCの前で編集していた父の姿が思い出されたから。
あまりにもスッパスパと処分していく母を見て、父を愛してなかったのかな?と疑問を持ってしまうほど 笑
そして、私にはきっと真似ができないと思った。
母の言うこともわかるけど、思い出とか、人の想いとかに滅法弱いからな、私は (汗)
実家では、主に母が荷造り(ごめんね、あんまり手伝えなくて)、大きな処分品は実家へ行った時に相棒と私がゴミ捨て場まで運んだ。
自宅の方も少しずつ準備…
ある時はノコギリでギコギコ。
ある時は洗剤でゴシゴシ。
私が住んでいた所は、6世帯の集合住宅で、専用のゴミ収集場所が設置されていたので、ほかの方たちの迷惑にならない程度の沢山の不用品を毎日毎日これでもか!これでもか!ってくらいに数ヶ月かけて出していった。
もちろん、息子たちにも一気に出さないように協力してもらった。
20年で随分溜め込んだなぁ〜 ʅ(◞‿◟)ʃ
ちょっと余談ですが、私が離婚したのは長男が中2、次男が小6の時。
そして、少しずつ思春期の息子たちには敬遠されていき、寂しいながらも成長の一環だと受け入れて喜んでいた。
が、男の子とはこんなにも母親と話さない生き物なのかぁぁぁ…Σ(゚д゚lll)と言うくらい話さなくなってしまった。
でも、挨拶だけは返事が返ってこなくてもやり続けた。
私だって嫌なものは嫌だから、息子たちが私と話したくないのなら無理強いはしなかった。
息子たちは成長し、私は年を取り(悲)…
この家に引っ越してきたのは長男が小学校へ入学する前。
その頃は2人ともまだまだ小さな男の子だったのに、
もう自分で引っ越し準備の計画を立てて私の手がなくても出来るようになっていたなんて…
って、もう成人したんだから当然だと思うけど、私には途中経過の記憶があまりないので、凄く凄く感心してしまった。
そして2人に、
『自分でできるなんてすごいじゃん!』と言った返事は、
『は?俺ら、いくつだと思ってんの?』
だった 笑笑汗汗
こうして、着々と引っ越し準備は進んでいったのでありました。