入院当日〜出発の朝
2016.7.13
この日は母の誕生日。
一緒に暮らせるようになって初めての誕生日だったのに、とんだプレゼントになっちゃって…
ごめんね、ママ 。゚(゚´Д`゚)゚。
私を病院に連れて行ってくれる相棒に、
『私がもっと若かったら色々できるのに相棒さんに任せっきりでごめんなさいね。時間も交通費もかかるから、せめて娘の事にかかる費用は全てここから出してください。お腹が空いたら何か食べてもらってもいいし。足りなくなったら言ってくださいね。娘をどうかよろしくお願いします。』
と母は封筒を渡した。
母は元々面倒見が良く、とても気配りや気遣いが出来る人で、私が生まれる前に父の仕事で姉と3人、アメリカへ行く時も、喜んでもらえるかもしれないとアメリカでお世話になる方々のためにわざわざ実家の京都まで和柄扇子を買いに行ったらしいし、ホームパーティーやピクニックには手料理や当時(1960年代)は珍しいおにぎりを作って振る舞ったり、帰国してからも色んなものを送ってあげたらしい。
父が腰痛で2度入院した時も、義母が入院した時も毎日お見舞いに通い、私が出産した時も朝晩2度来てくれるような人。
でも、この日82歳になった母は、それが出来ないほど年をとってしまっている。
父が亡くなる前のお見舞いも、私の仕事の休みにしか行けなかった。
『毎日お父さんの顔を見に行ってあげたいのに、自分の体調もかんばしくなくて…。お父さん寂しがってるだろうね…。出来ない事が増えるなんて、年は取りたくないね…。』とボヤいていた。
私の手術でも、母に同じような思いをさせてしまった申し訳なさと、それでも自分に出来ることはと相棒に気遣ってくれる母の気持ちが胸に深く深く突き刺さる。
そして母は、親不孝者の私が乗った車が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。