入院中に考えたこと
どれくらいぶりかな…
こんなにもゆったりとした時間を過ごしたのは…
離婚してからの約10年は、仕事に、家事に、子育てに、両親のことに、病気に、色んなことがありすぎてあっという間に過ぎ去った感じだったから。
それに今まで、こんなに人のありがたみを感じたこともあったかな…
オペや診察で多忙なはずなのに、執刀した患者の所へ毎日様子を見に来てくれる先生。
叱咤激励しながら、毎日体調管理や身の回りの世話を焼いてくれる看護師さん達。
顔面神経麻痺の事を色々調べて、マッサージの指導をしてくれる先生。
出来る限りの要望を聞き入れ、食事の支度をしてくれる調理場の方々。
配膳やお茶を注ぎに来てくれる方々。
院内を清潔に保ってくれる清掃の方々。
毎日、ありったけの笑顔でお見舞いに来てくれる相棒。
親不孝娘を心配し、差し入れしてくれたり、医療費の援助をしてくれる母。
ぶっきら棒だけど、私を心配して泣いたり、病気平癒のお守りをこっそり買ってくれる長男。
某有名アーティストグループのツアーにバックダンサーとして参加しているため、忙しく顔出しは出来ないけど、お土産を買って来てくれたり、LINEで優しい言葉をかけてくれる次男。
体調を崩してから、ずっと職場とのパイプラインになってくれてるスタッフのBさん。
励ましてくれる友人や職場のスタッフたち。
そして、あの日からずっと、私の心の支えになってくれている天国の父。
不自由な体でまともに動けない私に、こんなにも沢山の人達が力を貸してくれているんだ。
私ひとりの為に、こんなにも沢山の人達が支えてくれているんだ。
私が生きるために、こんなにも沢山の人達が関わってくれているんだ。
そんなことを考えていたら、涙が溢れて止まらなくなった。
そして泣いた。とにかく泣いた。
特に夜、寝静まった病室で、声を殺しながら、何日も何日も。
胸の奥からじんわりと暖かくなる感覚と目頭が熱くなる感覚は、『感謝』以外の何者でもない。
そして、どんなに自分を思いやっていなかったか…と言うことにも気付かされた。
嫌なことにNoと言えなかった。
色んなこと、我慢すれば良いと思ってた。
離婚して息子たちを不幸にしてしまったから、自分は幸せになっちゃいけないと思ってた。
何を聞かれても答えられる上司でいるために人一倍努力した。
社内キャンペーンもトップの成績を収めてきた。
嫌われても良いと思い、いつも誰かの盾になってきた。
友達と遊びたいのを我慢して働いた。
泣きたいほど疲れているのに、誰かの手を借りたいと言わなかった…
まだまだ沢山ある…我慢してきたこと…
そして、休みたいのに休まなかった。
自分をこき使い、休ませなかった。
よく、多忙な毎日を送っている人が、突然 病気や事故で安静にしなきゃいけなくなるって言う話。
まさに、今の私がそう。
この手術入院で、私の中の何かが変わった気がする。
時々耳にする『病気が教えてくれた事』と言うフレーズ。
これ、本当なんだ。
元気だった時には気付かなかった事に気付かされる。
そして、暴走してきた私の生き様に、病気という形でストップがかかった。
もっと早く気づかなければいけなかったんだ…
ひとりで生きているんじゃない。
皆に支えられて生きているんだ。
私は生かされた。
だから、人に優しく生きていこう。
そして、苦労をかけて病気にしてしまった自分にも、これからは優しく生きていこう。
無理をせず、自分の出来る範囲で誰かの役に立とう。
みんな、ありがとう…
私、ありがとう…
これが、入院中に考えた事。
そして、病気が私に教えてくれた事。