大喧嘩
2017.10.13〜2017.10.29
夕飯のメニューがお気に召さないようで、ある日長男に、『夕飯いらないから食事代ください』と言われた。
実は長男から、『夕飯残して捨てるのはもったいないから、もう少し違うものを作って欲しい』と何度か言われていた。
私の術後数ヶ月までは主に母が食事の支度をしてくれていて、汁物や付け合わせは手作りしてくれていたけど、メインは冷凍食品だった。
もともと長男は手作り料理が好きなので、徐々に徐々に残すようになっていった。
私も冷凍食品に飽き飽きしていたが、母にやってもらっている罪悪感?から、文句を言わずに食べていたし、料理上手だった母も高齢になり台所に立つのもしんどいと言っていたから、仕方がないとも思っていた。
だから、私もいつからか台所に立つようになり、時々食事の支度をしていたが、やはり脳腫瘍摘出の後遺症のふらつきと顔面神経麻痺の不完全な瞬きによる目の乾きで目が霞み、思うようにレシピが思い浮かばなかったり、しんどかったりで以前のようにちゃっちゃかと作れないでいた。
だから2人とも仕方ないと思ったし、言っていることはあながち間違いではないと思ったから、長男からおおよその一食分代金を聞き、食費を渡し始めた。
しかし、次男はこれが気に入らなかったようで、ある日私に、『甘やかし過ぎてないか?』と言ってきた。事情を説明したが納得いかなかったようだった。
この一件から1週間後の夜。なんだか、一階がうるさいな〜と思い二階から降りていくと、長男と次男が取っ組み合いの喧嘩をしていた。
大慌てで止めにかかったが何せ私より体が大きくて力の強い息子たちを止められる訳がなく、急いで相棒を呼んできた。
落ち着いてから話を聞くと、次男の言った一言が長男の怒りを煽ったらしい。
話をまとめると、祖母が作った食事を食べたり食べなかったり、片付けなかったりするのを次男が注意?したらしい。
そして次男はこう言った。
『俺は彼女と生活していたこともあるから、仕事から疲れて帰ってきても食事を作らなきゃならなかったし、洗濯も買い物も掃除も全部自分たちでやらなきゃならなかった。だから、帰宅してご飯が用意されていることや、洗濯をして全て畳んで置いといてもらえることがどんなに有難い事なのかがわかった。それに、今俺は自分の時間を全て自分のために使えるけど、家族のために買い物やその他の家事に時間を割いてくれている人がいるから、それが出来るんだ。おばあちゃんは俺たちの為に、自分の時間を使ってくれているんだよ。だから、食べたり食べなかったり、食費をくれって言ったり、やってくれている人に感謝してるのか?って思った』と。
だから、こうなった経緯(いきさつ)をもう一度話した。
食べたくなくて捨ててしまうのはもったいないから、それなら食べられるものにお金を使った方が良いということや、食費の出所はおばあちゃんからだから、大切に使うようにと約束をした事などを。
長男も、
『正直、感謝をしてなかったし、そう言われて自分がどんなに恵まれているのかを気付かせてもらった』
と反省していた。
この喧嘩を通して、私は息子たちの成長を物凄く感じてしまった。
2人とも思春期に入ってから母親とはあまり口をきかなくなってしまったし、私も自分の若かりし頃のことを思い出しながら、これだけは言っておかなきゃいけないということ以外は、余計なことを言わずに接してきた。
だから、息子たちの記憶は小中学生の頃で止まっていたが、自分の意見をきちんと言えるようになっていたり、それを受け止めて反省できるようになっていることに驚きと嬉しさを感じていた。
そして何より、次男が親元を離れて暮らしたことによって、何かをやってもらえることに対しての感謝の気持ちを持てるようになったことが心底嬉しくて感動した。
大人になったんだな〜。
でもさ、次男は全部おばあちゃんがやっていると思っていたようで、
『数ヶ月前から仕事の日以外は私がご飯作ってるんだけど…』
と言ったときの次男のびっくりした顔といったら。
『え?そうなの ˁᵒ͡ˑ̉ᵒˀ ?』
そして、私もおばあちゃんの付き添いで買い物に行っているんですけどぉ〜 〜 |( ̄3 ̄)|
なんだか、影の薄〜い私…
そして、このドタバタに一切気付かなかった耳の遠〜い母…
ここから10日ほど経った土砂降りの夜。
長男がずぶ濡れになって帰ってきた。
玄関で服を脱いでもらいタオルを渡した時、次男と喧嘩した時の大きなアザが足に数カ所あって痛々しく可哀想だった。
次男にもアザや傷があるのだろうか…?
1ヶ月分の食費を渡した日の夜、風呂上がりの長男が、
『「おばあちゃん、ありがとう」って弾んだ声で言ってくれたのよ。とっても嬉しかった』
と母は言っていた。
親離れならぬ祖母離れをした孫たちに寂しさを感じている母は、孫の笑顔が何より嬉しいようだ。
長男と次男は正反対の性格だから、なかなか歩み寄ることや理解し合うことが難しいのかもしれない。
長男も次男もそれぞれ良いところが沢山あるのに、良さを分かり合えないでいるもどかしさを母親の私は感じてしまう。
長男は祖母を想い、死に金を生き金にしようとした。
そして次男もまた、祖母を想うあまり長男の言動に腹を立てた。
私も年を取り、『白黒ハッキリ』させたり、『〜すべき』という考え方に柔軟性が出てきた。
そして、物事には色んな考え方や捉え方があることも…。
息子たちがいつの日か、お互いの良さに目を向けられるように私は中立な立場で見守っていこう。