負けるもんか! Emiの聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺の記録

聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺を患い、肋間神経痛・頻脈もある私の備忘録。

治療へ出発進行!

2006年8月7日

夏休みに入り、治療の為、息子達と一緒に実家へ向かった🚘

 

毎月実家へは顔を出していたが、やはり孫との再会は嬉しそう。

でも、さすがに今回ばかりは、両親の笑顔も複雑な様子…   ごめんね、心配かけて😥

 

 

『Emi、ちょっと来てごらん。』

PCの前に座っている父に呼ばれた。

 

『このICから乗った方が近いよ』

 

いつも実家への行き帰りに利用している高速道路のIC🛣からナビを使って一人で行くつもりだったけど、そこより北方のICからの方が近いとPC画面に出ている地図で説明してくれた。

 

『明日は高速の入口までパパが連れて行ってあげるよ』

『ありがとう。パパ (T ^ T) 』

 

『はい、コレ。お金の事は心配しなくていいから、食事代もガソリン代もここから全部出しなさい。あなたの好きなように使いなさい』

母から渡されたのは、とても分厚くてずっしりと重たい封筒だった。

 

父を見ると、無言で頷いていた。

 

『パパ、ママ…ありがとう(T ^ T) 』

 

両親の想いも詰まった封筒を、衣類でぐるぐる巻きにして、旅行かばんの奥に丁寧にしまった。

 

 f:id:healthy262:20180130233258p:image

 

 

8/8

翌日、治療初日の朝。

母が作ってくれた朝食を済ませ車2台で出発。

見送る母に出来るだけ心配させないよう、いつもと同じ風を装って手を振った。

 

 

そして、父が私の前を走り案内してくれた。

一人で行くつもりだったから、ナビがあるとはいえ方向音痴の私は少々不安だったが、父が途中まで来てくれてとても助かった(でも、方向音痴は父譲りです)。

 

 

ICの入口手前でハザードをつけ停車し、父に降り口の説明を受けた。

 

『パパはこのまま高速に乗らずに帰るよ。気を付けて行くんだぞ。』

 

『うん、パパも気を付けてね。ありがとう。』

 

心配顔の父に手を振り車に乗り込んだ。

 

 

パパとママはいつもそう。

私に何かあるとき、いつもそっと手を差し伸べてくれる。

 

私のために、色々調べたり考えたりしてくれてたんだね。

 

どれだけ私を心配しているか、手に取るようにわかるよ。

 

パパ、ありがとう。

 ママ、ありがとう。

 

行ってきます。

 

f:id:healthy262:20180130185822j:image