負けるもんか! Emiの聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺の記録

聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺を患い、肋間神経痛・頻脈もある私の備忘録。

入院までの生活〜食事編

テグレトールの量を増やしたものの、前のようには効かなくなっていた。

 

一度、相棒との買い物中に鼻の横に電流が流れ続けるような痛みが起き、顔を押さえながら

 

『痛い!痛い』とうつむいていたら、

 

『みんな見てるよ💦』

 

と相棒に言われたがそんなこと言われても痛いものはどうしようもない。

 

周りからは相棒が私に痛いことをしたように見えていたのかな?

 

心が折れて、買い物もできないまま自宅へ直帰。

 

そして、これも以前『トリガーポイント』の回でも取り上げたのと同じ部分(上前歯裏)が痛み始め、食事もままならなくなってしまった。

 

f:id:healthy262:20180723155331j:image

ここは、歯磨きはもちろん、食事、会話でも食べ物や舌が当たる部分。

健康な状態だと全く意識をしないような部分が私にとってはトリガーポイントで、触れると痛みが出てしまう。

 

初めは母に柔らかめのご飯を炊いてもらったり、おかゆを作ってもらったりして、出来るだけトリガーポイントに触れないよう、ゆっくりと奥歯で噛んでいたが、だんだん悪化して食事の時の痛みが増えていったので、流動食に切り替え、ミキサーにかけたもの、スープ、離乳食のレトルトなどをスプーンで舌の真ん中から奥に垂らし、トリガーポイントに舌が触れないように飲み込むようにしていた。

 

ところがさらに悪化してしまったため、スプーンでの食事もできなくなり、とてもとても行儀悪かったが、食事は仰向けになって父が入院中に使用していた吸い口(吸い飲み)にスープ状にしたものを入れたり、ウィダーインゼリーなどのゼリー飲料を喉の奥流し込んで飲み込むようにした。

 

f:id:healthy262:20180723161132j:image

 唯一の固形物が三叉神経痛薬として処方されているテグレトール

これを飲み込む時はとても苦痛だった。水などの液体はむせてしまうので飲めない。

 

そんな時、CMで薬を飲む時用のゼリーをみたことからヒントを得て、ウィダーインゼリーなどのゼリーと一緒に飲み込むようにして摂取した。

 

 

 

痛み再発 その5(三叉神経痛)〜手術決断

タオルにうずめていた顔を上げ医師を見た。

 

f:id:healthy262:20180723154120j:image

 

『もしも手術を決断してくれるなら、僕はもう手術の予約日を考えているんだけどね』

 

壁にかかったカレンダーを見ながら医師は言った。

 

確かにリスクはある。でも、それよりも何よりも、この三叉神経痛の苦痛から脱したい‼️

薬で痛みが治まっていたとしても、痛みの恐怖にさらされてきた日々の辛さを思うと選択肢はひとつ。

 

『手術をお願いします』

 

医師が候補にあげた一番早い日に決めた。

一分一秒でも早く、痛みから解放されたかったから。

 

でも、そう言ったものの、怖くて怖くて、またダーっと目から滝のような涙が溢れる私でした (´༎ຶོρ༎ຶོ`)

 

 

痛み再発 その4(三叉神経痛)〜急患

休みの連絡をしてしばらくすると、強烈な痛みが襲ってきた。

 

前にも『痛みを誘発する要因となること』の回でも触れたのですが、痛む箇所は似ている。

 

f:id:healthy262:20180723145907j:image

 鼻の横の矢印のところに電流が流れているような痛み。それも、ビリッとくる静電気のような瞬間的なものではなく、感電しているかのようなビリリリリリッ…と電流が流れ続けているような痛みが止まらない。

 

ただ『痛い!痛い!』とタオルで顔を押さえながらベッドにうずくまることしかできない。

 

打ち合わせに出掛けようとしていた相棒が、仕事を延期して病院に急患の連絡を入れ、すぐに車を走らせてくれた。

 

自宅から病院までは約1時間〜1時間半ほど。

その間中、強弱はあるものの痛みが治まることはなかった。

 

病院に着き待合室にいると、その安心感からか少しずつ痛みが弱まっていった。

 

名前を呼ばれて診察室へ入ると、初めて顔を合わせる医師がいた。そして、経過を話すとほかの医師同様 手術を勧められた。

 

頭の中は痛みの恐怖とは別の恐怖が渦巻いている。

手術→リスク→後遺症…

 

サイバーナイフ治療後に片側顔面痙攣で顔が歪む恐怖と屈辱を味わっていたので、誤って別の神経損傷による後遺症で顔や身体が動かなくなったり、おかしな事になってしまうことはないのか…と考えれば考えるほど怖くて怖くて涙が止まらなくなってしまった。

 

そんな私に医師は、優しく、そして力強くこう言った。

 

『手術が怖くない人はいないと思いますよ。どんなに小さな手術でもね。脳腫瘍摘出が怖いのは当然だと思います。ただ、この先何年も薬で痛みを誤魔化して、再発する恐怖に怯えながら生活するのか、今、勇気を出して痛みのない生活ができるように手術をするのかで、これからの人生は違ってくると僕は思います。だからこそ、手術を勧めます。大丈夫。僕には治せる自信があります。』

 

 

 

痛み再発 その3(三叉神経痛)

そんなある日、仕事中にお客様に呼ばれ接客についたとき、酷い痛みに襲われた。

 

顔を押さえながら、お客様にお詫びしてその場を離れ、店長に接客の続きをお願いしてストックルームへ駆け込み、テグレトールを規定量より多めに飲んだ。

 

まだ薬の時間じゃなかったけど、あまりの痛さに飲まずにはいられなかった。

 

そのまま心が折れ恐怖に支配されてしまった為、仕事を早退させてもらった。

 

f:id:healthy262:20180722172222p:image

 

 その次の出勤日の朝、朝食中に痛みが走り、完全に足がすくんでしまった。

 

痛みが怖くて怖くて、支度ができなくなってしまった。

 

何とか弱々しい声で店長に電話をし、その日からしばらく欠勤させてもらうことにした。

 

痛み再発 その2(三叉神経痛)

痛みは落ち着いていた。

でも、一度でも痛むと頭の中が痛みの恐怖に支配される。ポキンと折れたままの心を、テープで補強しているような状態でグラグラと不安定。

 

毎日毎日、その恐怖との闘い。

 

大丈夫!大丈夫!と自分に言い聞かせる日々。

 

家にいても、職場にいても、何をしてても恐怖のベールですっぽり覆われている感じ。

 

ビクビクと、ただひたすら一分一秒 何事もなく過ぎていくのを祈る。

 

そんな中、間隔は開くものの痛みが増えてきた。

 

家で大好物の砂肝の珍味を食べているときにビリッ‼️

 

仕事の休憩時間、マクドナルドのハンバーガーを食べているときにビリッ‼️

 

もうこうなると、怖くて怖くて何もしたくなくなる。動いたり振動を与えて痛みを誘発したくないから。

 

それでも、頑張った。痛みと恐怖に怯えながら…

 

 f:id:healthy262:20180722164504p:image

 

 

痛み再発 その1(三叉神経痛)

無事に引越しが終わったものの、毎日バタバタ💦

 

引越しで取った仕事の連休も片付けに追われてあっという間。

 

仕事も相変わらず忙しく、週2日の休みも引越しの片付けや母の病院の付き添いで終わってしまう。

 

でも、自分が選択した事だから、今、目の前にある事をこなしていくのみ‼️と思い生活していた引越して約2ヶ月経ったある日。

 

その日は母の診察が長引き、他の科の受診もすることに。総合病院だから、患者の数が多く待ち時間が長い…

家事もできぬまま時間だけが過ぎて行く…

 

とうとう夕方になってしまい、母と相棒を病院に残してスーパーへ買い物に行かせてもらった。

 

買い物を済ませ、駐車場を出るときに手こずった。

駐車料金を払おうと思ったが小銭がない。

振り返ると後ろに数台並んでる。

身動きが取れず大慌て💦

 

で、後ろの車の少しお年を召したご夫婦に声をかけると、2人の財布から快く両替をしてくださった。ありがとうございましたm(_ _)m

 

ひとまず駐車場から出られたものの、降り出した雨。家にご飯を炊きに一旦帰宅し、また病院へ迎えに行かなければならず、洗濯物も取り込まねば‼️

と、かなり焦りまくって運転していた矢先、

 

ビリッ‼️

 

久しぶりにあの痛みがはしった。

 

その瞬間、気持ちがグーンと急降下↓↓↓

恐怖で脳が萎縮。

 

痛みがフラッシュバック。

 

頭が不安と恐怖に支配されてしまった…

 

その後の事は記憶にない。

多分、病院へ迎えに行き、恐る恐る食事を済ませ一日を終えたんだと思う。

 

3日前、自分の検診に行って担当医に

『薬が良く効いて全く痛みは出ていません』

って言ったばっかりなのに…

 

あー。今思い出しただけでも怖い三叉神経痛

 

f:id:healthy262:20180722142952p:image

 

私と息子たちの引越し

2016.4.21

 

いよいよ3回目の引越し。 母と相棒が住むこの家に全員揃いました…

 

f:id:healthy262:20180720180908p:image

 

約20年住んだ家から車で10分もかからない場所への引越しなので、事前に多少の荷物は運び込んでいたものの、いざ引越しのトラックに積み込んで見るとものすごい量‼️

 

 実家同様、数ヶ月かけて少しずつかなり処分したにもかかわらず ∑(゚Д゚)

 

ガランとしていく家の中を息子たちと3人で掃除しました。

 

家具が運び出された床や壁についた跡も、壁に開いた穴も(大家さん、すみません💦)今となってはその全てが想い出に染まっていきます。

 

長男が

『写真撮った?』

『うん、撮ったよ』

そう言って見せると、

『そうじゃないんだよなー』

 

私が写したのは荷物が運び出された後の部屋の写真。

 

長男が写して欲しかったのは荷物が運び出される前の写真でした。

 

 

荷物の積み込みが完了したので、私は車で、息子たちは自転車で新居へ向かいました。

各々の荷物をどこへ運んで欲しいのか引越し屋さんに伝えるために。

 

 

私の居住スペースの二階は、入口の目の前に荷物の壁ができるほど。

 

気が遠くなるような量でした。

 

長男は一階、次男は三階です。

 

前の家の鍵引き渡しに一旦戻ったりしながら、バタバタと引越しが終わりました。

 

20年間、ありがとう。

私と息子たちの想い出がたくさん詰まったテラスハウス…❤︎