手術当日〜手術終了(手記を元に)
『Emiさん❗️Emiさん❗️』
誰かが呼んでいる…
『Emiさん❗️ Emiさん❗️わかりますか?』
麻酔から覚めていく感じ…
周りの音、周りの声が聞こえる…
あ…生きてたんだ…………
手術前に読んだ同じ病の方のブログにもこのことが書かれていたっけ。
それを読んだときは大袈裟だと思ったけど、全身麻酔から覚めた時、本当にブログの通りだった…という思いが頭をよぎった。
『 Emiさん❗️聞こえていたら返事をしてください』
『はい。』
と力なく返事をする。体はグッタリした感じ。
『手術が終わりましたよ。』
『ありがとうございました。』
朦朧とした意識の中、ゆっくりとお礼を口にする。
あ…手術終わったんだ…
話すのがやっとだな…
『体だけ上に向けられるかな?頭は左側を上にしておいてね。縫ったばかりだからね。』
いてててて…
『手術中ずっと右側を下にしていたから腰が痛いよね。ゆっくりでいいよ。』
少しずつ身体を動かす。
人工呼吸器を外され、急に息が苦しくなった。
酸素マスク?をされ酸素を吸うように言われた。
右の肺の中に『スーッ』と酸素が入るのを感じた。
風船を膨らましたようなイメージだった。
左の肺にはその感覚がなく不安を感じた。
きちんと入ったかな…?
しばらくすると、急に寒さと熱さが襲ってきた。
銀世界に放り出されたような寒さで身体がガタガタ震える。
『寒い寒い寒い…』
『シバリングが起きてるな』
医師の声。
『温めて‼️』
助手の方の声。
ベッドがジワ〜っと温かくなってきて、とっても気持ちが良い〜 :.* ♡(°´˘`°)/♡ *.:
と思っていると、
灼熱の砂漠に放り出されたような『暑さ』ではなく『熱さ』を感じる。
『熱い熱い熱い…』
『温度下げて‼️』
スタッフの方の声。
ベッド(手術台)に温度調節機能があるのかな?
熱さが和らいでいく…
でも、また…
寒い寒い…熱い熱い…と叫ぶ。
私の身体はどうなってしまったの?
助けて…
そういえば、これもブログに書かれてあったなぁ…
身体には異常を感じながら、頭では冷静に⁉︎ブログを思い出してる。
あ…やっと身体が楽になったきた…
…
…
…Zzz…
手術当日〜手術開始まで(手記を元に)
オペ室に入ると、私のオペを担当してくれるスタッフの方々から挨拶があった。
『よろしくお願いします m(_ _)m』
と言いながらも「こんなに沢山の方々が関わるんだ…」と思えば思うほど不安が増していき、涙が溢れ始めた。
『大丈夫ですよ』
と優しく声をかけられ、手術台へ誘導された。
もう後には引けない‼️
成功しますように…
泣くのをやめて腹をくくった。
私は聴神経腫瘍とも、三叉神経痛とも、おさらばするんだ‼️
違う種類の点滴が加わる。
手術の支度が進んで行く。
しばらくすると執刀医が入ってきて声をかけたくれた。
『お願いします』
と答えると、助手の方が
『酸素マスクしますよ〜』
マスクを装着して少しするとマスクからちょっとだけ違う匂いがした気がして…………Zzz……
手術当日〜手術室まで
2016.7.14
意外と朝までグッスリ眠った自分の図太さにはビックリ 笑
松岡修造効果かな?
朝食は抜きだった。
テグレトールだけは飲んだかな…?
(細かな記録がなく、2年前の事で記臆が…(^_^;))
朝、執刀医(今の主治医)が点滴をしに来てくれて、頑張りましょうと元気付けてくれた。
相棒も朝早くから駆けつけてくれて、家族が無事を祈っている事を告げられた。
午前9時半
看護師さんに付き添われ点滴をしたままオペ室へ向かった。
エレベーターに乗り込み振り返ると、相棒が笑顔で手を振ってくれていた。
『頑張れよ』
『うん。ありがとう。』
ゆっくりとエレベーターの扉が閉まり、相棒の笑顔が見えなくなった。
急に不安になり始め、心臓の鼓動が早くなってきたのを感じた。
入院当日〜病棟で
入院手続きを済ませ病棟へ行くと、担当看護師さんが挨拶に来てくれた。20代の若い女の子。
話し方は相変わらず、トリガーポイントに舌が触れないよう変な話し方なので、看護師さんも初めは不思議そうな顔。簡潔に事情を説明するとわかってくれた様子。
色々入院にあたって質問されるため、予め『痛くなっちゃったらごめんなさい。』と気遣ってくれた。
洗面所、ドライヤー、トイレ、風呂場などの場所や使い方の説明を受けた。
身長・体重もはかったら、三叉神経痛の始まりで物が食べれなくなった時より2kg増えていて少し安心。
その日初めての食事は普通食で食べられなかったので、次からは出来る限り柔らかめやみじん切りでお願いして、持参したゼリー飲料で食事を済ませた。
『また明日来るね』
夕方、朝から付き添ってくれた相棒が帰っていった。ありがとう。なんか、寂しくて、ちょっぴり心細くなった。
あー。明日は手術か…
痛みともサヨナラできるかな…
後遺症は出ないかな…
大丈夫、大丈夫。絶対に上手くいく!
寝る支度をしてベッドへ横たわり、数日前に見つけたLINEの松岡修造おみくじをするためイヤホンをした。
…
…
…はずだった。
シーンとした4人部屋に突然、
Emiちゃーん。松岡修造だよ。今日のおみくじは‼️…
と、響き渡る松岡修造の元気な声。
きちんとイヤホンが接続されていない事に気付き、大慌てではめようとしたけど、慌てすぎて手元が狂いはめられない💦💦💦💦💦
そんな事をしても仕方ないのに、スマホを足の間に挟んだり、布団に潜ったりと、なんとかしようとあたふた しまくったヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
そして、なんとかボリュームダウン↓↓
あー焦った ( ̄▽ ̄;)
あー焦った ( ̄▽ ̄;)
あー焦った ( ̄▽ ̄;)
同室のみなさん、すみませーん ε-(´∀`; )
そして…
どうか、手術が成功しますように。
入院当日〜出発の朝
2016.7.13
この日は母の誕生日。
一緒に暮らせるようになって初めての誕生日だったのに、とんだプレゼントになっちゃって…
ごめんね、ママ 。゚(゚´Д`゚)゚。
私を病院に連れて行ってくれる相棒に、
『私がもっと若かったら色々できるのに相棒さんに任せっきりでごめんなさいね。時間も交通費もかかるから、せめて娘の事にかかる費用は全てここから出してください。お腹が空いたら何か食べてもらってもいいし。足りなくなったら言ってくださいね。娘をどうかよろしくお願いします。』
と母は封筒を渡した。
母は元々面倒見が良く、とても気配りや気遣いが出来る人で、私が生まれる前に父の仕事で姉と3人、アメリカへ行く時も、喜んでもらえるかもしれないとアメリカでお世話になる方々のためにわざわざ実家の京都まで和柄扇子を買いに行ったらしいし、ホームパーティーやピクニックには手料理や当時(1960年代)は珍しいおにぎりを作って振る舞ったり、帰国してからも色んなものを送ってあげたらしい。
父が腰痛で2度入院した時も、義母が入院した時も毎日お見舞いに通い、私が出産した時も朝晩2度来てくれるような人。
でも、この日82歳になった母は、それが出来ないほど年をとってしまっている。
父が亡くなる前のお見舞いも、私の仕事の休みにしか行けなかった。
『毎日お父さんの顔を見に行ってあげたいのに、自分の体調もかんばしくなくて…。お父さん寂しがってるだろうね…。出来ない事が増えるなんて、年は取りたくないね…。』とボヤいていた。
私の手術でも、母に同じような思いをさせてしまった申し訳なさと、それでも自分に出来ることはと相棒に気遣ってくれる母の気持ちが胸に深く深く突き刺さる。
そして母は、親不孝者の私が乗った車が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。
入院準備
入院ファイル(資料や書類などが入っている)を病院から渡され、一通りの説明を受けた。
入院当日は何時までにどこで受付するのか、必要書類、入院棟の場所、持ち物などなど。
母は入院用のパジャマや必要な物を、相棒は入院中に読む本やコップ、My箸などを買ってくれた。
《パジャマ》素材と着心地とデザインを重視
・柔らかく伸縮性に優れているもの
・ウエストが楽で全体的にゆったりとしたもの
・頭の手術なので着脱しやすい首回りが広めのもの
・二の腕が冷えやすいので袖が七部丈のもの
《スリッパ(スリッポン)》履きやすさ・安全性
・脳腫瘍摘出のふらつきで足元が危ないかもしれないと思ったのと、退院後も履けるようにカカトが踏めるメッシュのスリッポンを購入。靴としても履けるし、カカトを踏むとスリッパやつっかけみたいにもなる2wayタイプの優れもの。
これはイメージ写真です。
《コップと箸》お気に入りをチョイス
少しお高めだったけど、
『好きなものを選べ。買ってやるから。』
のお言葉に甘えて気に入った猫の絵柄の箸・スプーンセットとピンクのコップを選んだ。
《タオル》お気に入りの物をチョイス
・花柄・テディベア・豚柄など
辛い入院生活を少しでも快適に過ごすため、目にすれば元気が出そうなものを敢えてチョイス。
《本》厚さ薄めの小説。
読み切れるくらいの厚さ(読みきるなんてとんでもないほど術後は…この先は後ほど 笑)
この年、映画化された『ぼくのおじさん』
それをキャリーバックに詰める。
それと、この時、同じ病の人の参考になればとブログを書くことを考えていたので、メモがわりに《システム手帳》も入れた。
私も同じ病の方々のブログに励まされたから。
そして、入院当日の朝を迎えた。
入院までの生活〜会話編
日常会話も苦痛だった。
なにせ、会話中に舌先がトリガーポイントに当たれば痛みが走る。
上前歯の裏に舌が当たらないように話すため、相棒、息子2人との会話は、知らない人が聞いたらとても舌ったらずな話し方に聞こえたかも⁉️
そして、耳の遠い母との会話は筆談となった。
母は補聴器を嫌がりあまり装着しなかったので、大きな声でゆっくりと話すのは毎日となると結構しんどかったが、この筆談は一度で伝えられるのでお互いにとても良かったのではないかと思う。
入院前検査も苦痛だった。
色んな検査で担当の方が変わったり部屋が変わったりすると、その都度、患者確認のために氏名・生年月日を言わねばならなかったのと、顔にボンっと振動を与える検査は痛みの誘発が怖かった。
幸い、検査中に痛みは出なかったはず…
そして、きっと検査担当の方々は変な話し方をする私を変な奴だと思っていたに違いない σ(^_^;)