負けるもんか! Emiの聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺の記録

聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺を患い、肋間神経痛・頻脈もある私の備忘録。

術後12日目 その②〜夏の日差しとランチ

快適だった病院から外へ踏み出した。

 

病室では感じなかった夏の暑さと日差しが病み上がりには堪(こた)える…と思いきや、意外と空気は涼しかった。

 

でも、病室から一階の会計に向かうときに既に感じてはいたけど、キャリーバッグを引きながら相棒の後を追うのは、あまりにもしんどすぎた。

 

この病院へ入院した2週間前とは全く違う状態になっている。

 

歩いたり、キャリーバッグをガラガラと引く時に足元や腕から伝わってくる振動。

 

病棟とは違い、人混みと目に飛び込んでくる情報量の多さ。

 

左耳にある気持ち悪いほどの閉塞感が、ざわついた場所だとひどくなる気がするのと、右耳だけに色んな音が飛び込んできて、とてもうるさく感じる。

 

この全てがふらつきの要因となって容赦なく襲ってくる。

 

 

左目は眼帯の中で開いてはいるけど何も見えず、もちろん左耳は全くと言って良いほど聞こえず、左側の脳みそは機能していないかのようにボワーンとしている。

 

見たり、聞いたり、考えたりする全てを右側だけでこなしている感じで、今まで感じたことのない不自由な状態に泣きたくなった。

 

何これ………。

 

 

『待って。もう少し、ゆっくり歩いて』

 

あまりのしんどさに思わず相棒へ声をかけるけど、大きな声は傷に(脳に?)響くから出せなくて、何度も呼んだ。

 

そう言えば、同病者ブログに書いてあったなぁ。

人混みはふらつきが酷く感じて怖いって。

 

それ、本当にわかる。

 

人とすれ違えない気がする。

ふらついてぶつかりそうで…

 

歩くだけでも精一杯なのに、人を避(よ)けて歩くなんて絶対にできない。転んで踏まれてしまいそう。

 

それに、眼帯の中で閉じない目が乾いて痛むから、時々手で押さえながら荷物を引いて歩かなければならないし。

 

何とか駐車場に到着。

はぁ〜。疲れた 。少ししか歩いてないのに…

 

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車に乗り込むと相棒が言った。

 

『出かける時お義母さんに、せっかくだから2人でランチでも食べていらっしゃいって言われたよ。』

 

『いいね〜🎶』

 

『ただ、お義母さんも気にしてると思うから、一緒に食べようって誘ってみようよ。』

 

そう言ってくれたので、早速母に電話をかけ退院の報告とランチのお誘いをした。

 

母は嬉しそうにOKしてくれた。

 

『じゃあ、このまま迎えにいくね』

 

『はい。気をつけてね』

 

退院した事と皆でランチが出来る嬉しさから私はご機嫌だった。

 

そして邪魔だった眼帯を外し、クーラーの風に目の乾きを感じて手で瞬きをさせながら窓の外を眺めていたら、目まぐるしく変わる景色に脳みそがついていけなくて、気分が悪くなってきた…

 

目を閉じて、時々『パッ』と開けるくらいが脳みそにはちょうど良い。

 

それと、何だか目が痛い…

 

久しぶりに見る外の景色を堪能したかったけど、あまりの気持ち悪さと目の乾きに目を閉じている時間の方が長かったかも。

 

 

 

そうこうしてる間に、懐かしい我が家に到着。

母を呼びに行き、うどん屋さんへ。

 

そう言えば、普通食は久しぶり。

入院中も、柔らかいオカズとお粥までしか食べてない。

 

注文して食べ始めて、術後、麺類は初めてだと言うことに気付いた。

 

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『いただきまーす。』

 

ちゅ、ちゅ、ちゅ…

 

麺がちゅるちゅる出来ないヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3

 

何度かトライしてみたものの、麺をすする事は出来なかった。

 

それに、モグモグしていると麻痺している左側から麺がピュルッと顔を出す。

 

今まで考えた事もなかったけど、麺をすすったり、飲食物が口からこぼれないようにするのって、上下の唇が良い力加減で閉じてくれてたお陰なんだ…なんて事に気付く。

 

それに、何かに集中すると(この時はうどん)、左目が乾燥で痛み出す。

 

時々、手で目を閉じさせないといけないんだな…

 

そんな事を考えながら、母と相棒にはかなり待ってもらい、うどんを一時間かけて完食した。

 

2人に、

 

『よく食べたね〜。』

『頑張ったな。凄いぞ!』

 

まるで、ご飯を全部食べられた子供のように褒められた。

 

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でも、普通食が食べられる自信がついて嬉しかった。

術後12日目その①〜退院の日

2016.7.26

 

退院の朝が来た。

約2週間過ごしたこの病院とも今日でおさらばか〜。

 

昨日退院したHさん以外にも、話すようになっていた別室のおばあちゃん。

 

廊下ですれ違って挨拶を交わしたのがきっかけで、おばあちゃんの部屋にも遊びに行くようになった。

 

『暇だから、いつでも来てね』って言ってもらえて嬉しかった。

 

おばあちゃん、元気でね❤︎

 

そういう交流も含め、入院生活はとても快適すぎて何だか寂しい気もするなぁ。

 

いやいや、いかん❗️

もう、ここへは二度と戻ってきてはならないのだ‼️

私は元気になるんだから。

さ〜て、支度支度。

 

昨日、キレイにメイクをして退院して行ったHさんのように私もメイクしたかった。

 

でも、顔面神経麻痺のこんな顔じゃ、余計化け物みたいになっちゃうからやめておこう。悲しいけど、周りの人たちのために -_-b

 

新しく同室に入院されてきた2組のご夫婦(旦那様は付添い)に手術成功と回復を願い挨拶をした。

 

みんな私の動かなくなった顔を気の毒そうに見ながら励ましてくれた。ありがとうございます。

 

相棒が迎えに来てくれた。

眼帯をつけ、全員には会えなかったけど、お世話になった先生と看護師さんやその他スタッフの方々にお礼をして入院棟を後にした。

 

入院費はHさんから聞いていたけど、私の方が手術内容が若干複雑だったから、もちろん医療費もその分かかると思っていたのに、

 

え?

 

と思うような金額でHさんとあまり変わらなかったのにはビックリ。(これは後でふれます)

 

 

先生に気分転換になるからと勧められても、ふらつきとこの顔に自信が持てなくて敬遠していた一階の売店の横を相棒と通り、院外へ。

 

外の空気を吸うのは2週間ぶり。とうとう退院したんだ ♪───O(≧∇≦)O────♪

 

そう思って、外へ一歩を踏み出した。

 

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術後11日目〜その②今後のこと

そして夕方。

相棒がお見舞いに来てくれた時に、担当医と3人で今後についての話をした。

 

まずは、今回の手術について。

 

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これは、実際に担当医が手描きしてくれたもの。

術前にMRIを撮っていたが、実際に開頭してみなければどこまで腫瘍を取り切れるかわからないと言われていた。

 

開頭

 

サイバーナイフ治療で腫瘍が小さくなっていく

    過程で変形し、三叉神経に食い込んでいたため、

    三叉神経痛を発症。

 

・聴神経と顔面神経を包むように腫瘍が絡まってい  

   て、その腫瘍にぐるりと太い動脈が巻きついてい

   た。

 

 

手術内容

 

サイバーナイフ治療をした事により腫瘍が硬くなっていて、かなり切除が難しかった。

 

三叉神経に食い込んでいた事により起きた激痛から私を解放するため、もう二度と三叉神経痛が起こらないよう慎重に摘出し減圧術をした。

 

聴神経と顔面神経に絡まっていた腫瘍は、術中神経モニタリングをしながら少しずつ神経や動脈を傷つけないように削ぎ取っていったが、途中で反応が悪くなった為、全摘出を断念した。

 

 

今後の事

 

腫瘍は約8割摘出。残りの2割は定期検診でMRIを撮りながら経過観察していく。

 

今出ている顔や舌の痺れは、顔面神経麻痺から来ているか、腫瘍摘出で三叉神経をかなり傷めつけてしまったので、そこからきているかは定かではないが、恐らく三叉神経からだと推測。だとすると、痺れは消えない可能性がある。

 

食事中、意識して麻痺側で噛むことがリハビリになる(でも私、左下奥歯がない のです(°▽°))

 

現段階で顔面神経麻痺がどこまで回復するかはわからない。以後、ボトックスや形成手術を視野に入れていく。

 

以上

 

 

形成手術…

まぶたが閉じなかったら重りのようなものを付けて閉じるようにするとか、大丈夫なのかな?

 

顔面神経麻痺がどこまで回復するかも不安だけど、形成手術をやる事になるのも不安…

 

どうか、どうか、元の顔に戻りますように。

 

 

術後11日目~その①抜糸とマッサージ最終確認

2016.7.25

 

Hさんが退院して行った。

 

パジャマ姿も可愛らしかったけど、メイクをして、私服に着替えた姿はとてもステキだった…✩⃛꒰⁎⁍̴◡⁍̴⁎ ॢ꒱

 

 

術後数日経ってこの大部屋に移ってから少しずつHさんと話すようになった。

 

顔面神経麻痺を患ったHさんのお姉さんや同室にいて退院して行ったおばあちゃんに聞いた話から、原因や治療について知っている限りを教えてくれた。

 

ピクリとも動かない顔に絶望的だった私に一筋の希望の光を与えてくれた。

 

いつも気遣って声をかけてくれたり、話し相手になってくれたり、Hさんのお陰で毎日を楽しく過ごせたのは確かだし、そういう時間を過ごせた事で前向きになれた。

 

『退院おめでとうございます。Hさんのお陰で毎日が楽しかったです。色々ありがとうございました。』

 

『ありがとう。Emiさんも明日退院だね。気を付けてね。』

 

Hさんがいなくなった病室はガラーンとした感じ…

 

と思いきや、すぐさま次の患者さんが入ってきた。

 

入れ替わりが早い❗️

 

ここは病院だから当たり前だけど、こんなにも、病気と闘っている人がいるんだと驚かされる。

 

今日は朝10時半から抜糸。

抜糸と言っても糸ではなく、ホチキスの針のようなもの(ステープラー)で止めてあるのを引っこ抜く感じ⁉️

 

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同病者ブログにはすごく痛いって書いてあって、昨日Hさんはあまり痛くないって言っていた。

 

髪の毛を抜かれたような軽い痛み。思っていたよりは痛くない…と思う ( ̄▽ ̄;)

 

これが私の感想。

 

個人差あるんだなぁ~。

 

シャワーは、この後6時間開けるようにと言われた。

 

ん~。頭が楽になった?

 

なんて表現したらいいかな…

 

着物を脱いだ時の開放感とか、イボイボ健康サンダルを脱いだ後の感じに似てるかな?

 

あ❗️いいのがあった。

トラバサミが取れた感じ (((o(*゚▽゚*)o)))

狩猟用のワナのトラバサミ。

 

え?ワナにかかったこと?

そりゃーないけど…(u_u)

でも、大袈裟に言うとそんな感じで痛みとひっつれた感じが楽になったような…

 

あの、角材を思い切り押し付けられていたような痛みが軽くなったような…

 

 

その後は、入院中最後のマッサージ。

 

いつものようにマッサージをしていただいた後、最終確認。

 

★食事・会話等 口を動かす時には意識して目を開けていた方が良いことや、マッサージの仕方など。

 

★『眉を上げず目を10秒見開く』を一回3セット。これを一日数回繰り返すこと。

 

★顔の痛い部分(頬骨など触ると痛い所が数カ所ある)は凝っている可能性があるため、気持ちの良い力加減でのマッサージはOK。でも、あまり強くグリグリしないように…

 

などなど。

 

そして、嬉しかったのが、朝は担当医に、マッサージ中はマッサージの先生に、前より目が閉じてると言われたこと。

 

特に、額のマッサージ時はピターっと閉じていたみたい♡ ヤッター

 

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術後10日目~相棒の事。そして、Hさんとの最後の夜

2016.7.24

 

相棒は数年前から筋トレにハマっていて、日曜はジム通いをしていた。

 

でも、一緒に暮らし始めてから徐々にジム通いが減っていき、我が家に設置されている筋トレマシンで鍛えるようになっていた。

 

ただ、私が入院してから毎日欠かさずにお見舞いに来てくれている相棒に、少しでも好きな事をして欲しいと思い、昨日母とお見舞いに来てくれた帰りに、

 

『明日は大丈夫だからね』と伝えた。

 

だから今日は一日が長い。たっぷり時間がある。

 

そこで、専門医が見てもハッキリとわからなかった口内に大量発生した白いものについて考えてみた。

 

その①➖ヘルペスの一種

鼻の下から唇にかけてヘルペスが出た時には既にあったから。

 

その②➖口内炎のようなもの

でも、これは少し違うかな?

口内炎の丸い吸盤のようなものも、痛みもない。

小さなブツブツというか、ザラザラしているというか…

 

その③➖その他

手術やステロイド治療による抵抗力の低下で炎症が起きているか、それによって出てきた謎の現象⁉️

 

確率としては、③→①→②かな?

 

なーんて考えながら過ごしていると、

 

『Emi~。』

 

と、相棒が満面の笑みを浮かべて病室に入ってきた。

 

『あれ?今日はイイって言ったのに。毎日じゃ疲れちゃうでしょ?』

 

『大丈夫だよ』

 

そう言いながらも、嬉しくて笑いが止まらない私。

 

相棒には、同じジムで仲間ができ、その中にはドクターがいる。

 

どうやら、そのドクターに会うためにジムへ行き、筋トレついでに私の話をしてきたらしい。

 

ん❓私の話をするついでに筋トレをしてきた…かな⁉️

 

『先生に手足の痺れが出てないか聞かれたよ。出てないって言ったら、よかったって言ってたよ。』

 

そう言って、色々教えてもらった事を話してくれた。

 

毎日毎日お見舞いに来てくれて、一緒にいない時にも私を忘れないでいてくれる相棒の気持ちにジ~ンとしてしまった。

 

『また明日来るからな。』

 

相棒、ありがとう。

退院したら、きっと恩返しするからね。

 

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そして今日が仲良くなったHさんとの最後の夜。

 

『Emiさん、起きてる?』

 

『はい。』

 

『外見て❗️』

 

『わぁ~‼️』

 

『キレイ~꒰ღ˘◡˘ற꒱✯*・☪:.。』

 

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ベッドの仕切りカーテンを開け、2人して花火にうっとり。

 

『こんなに高い場所から見たのは初めてかも⁉️』

 

『普通は見上げるもんね~。』

 

『ここ13階だから、花火を見下ろしてるよ、私たち。』

 

なんて話しながら…

 

明日はHさんの退院の日。

明後日は私の退院の日。

 

夏の夜空を彩る花火は、まるで2人を祝福してくれているかのようだった。

 

 

それと…

 

右目がピクピクし始めた。左目じゃなくて右目が。

 

なんだろ?

 

眼帯の時間が増えて、右目を酷使してるせいかな?

 

 

 

 

入院中に考えたこと

どれくらいぶりかな…

 

こんなにもゆったりとした時間を過ごしたのは…

 

離婚してからの約10年は、仕事に、家事に、子育てに、両親のことに、病気に、色んなことがありすぎてあっという間に過ぎ去った感じだったから。

 

 

 

それに今まで、こんなに人のありがたみを感じたこともあったかな…

 

 

 

オペや診察で多忙なはずなのに、執刀した患者の所へ毎日様子を見に来てくれる先生。

 

叱咤激励しながら、毎日体調管理や身の回りの世話を焼いてくれる看護師さん達。

 

顔面神経麻痺の事を色々調べて、マッサージの指導をしてくれる先生。

 

出来る限りの要望を聞き入れ、食事の支度をしてくれる調理場の方々。

 

配膳やお茶を注ぎに来てくれる方々。

 

院内を清潔に保ってくれる清掃の方々。

 

毎日、ありったけの笑顔でお見舞いに来てくれる相棒。

 

親不孝娘を心配し、差し入れしてくれたり、医療費の援助をしてくれる母。

 

ぶっきら棒だけど、私を心配して泣いたり、病気平癒のお守りをこっそり買ってくれる長男。

 

某有名アーティストグループのツアーにバックダンサーとして参加しているため、忙しく顔出しは出来ないけど、お土産を買って来てくれたり、LINEで優しい言葉をかけてくれる次男。

 

体調を崩してから、ずっと職場とのパイプラインになってくれてるスタッフのBさん。

 

励ましてくれる友人や職場のスタッフたち。

 

そして、あの日からずっと、私の心の支えになってくれている天国の父。

 

 

 

不自由な体でまともに動けない私に、こんなにも沢山の人達が力を貸してくれているんだ。

 

私ひとりの為に、こんなにも沢山の人達が支えてくれているんだ。

 

私が生きるために、こんなにも沢山の人達が関わってくれているんだ。

 

そんなことを考えていたら、涙が溢れて止まらなくなった。

 

そして泣いた。とにかく泣いた。

特に夜、寝静まった病室で、声を殺しながら、何日も何日も。

 

  

胸の奥からじんわりと暖かくなる感覚と目頭が熱くなる感覚は、『感謝』以外の何者でもない。

 

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そして、どんなに自分を思いやっていなかったか…と言うことにも気付かされた。

 

嫌なことにNoと言えなかった。

 

色んなこと、我慢すれば良いと思ってた。

 

離婚して息子たちを不幸にしてしまったから、自分は幸せになっちゃいけないと思ってた。

 

何を聞かれても答えられる上司でいるために人一倍努力した。

 

社内キャンペーンもトップの成績を収めてきた。

 

 

嫌われても良いと思い、いつも誰かの盾になってきた。

 

友達と遊びたいのを我慢して働いた。

 

泣きたいほど疲れているのに、誰かの手を借りたいと言わなかった…

 

まだまだ沢山ある…我慢してきたこと…

 

そして、休みたいのに休まなかった。

自分をこき使い、休ませなかった。

 

よく、多忙な毎日を送っている人が、突然 病気や事故で安静にしなきゃいけなくなるって言う話。

 

まさに、今の私がそう。

 

この手術入院で、私の中の何かが変わった気がする。

 

時々耳にする『病気が教えてくれた事』と言うフレーズ。

 

これ、本当なんだ。

 

元気だった時には気付かなかった事に気付かされる。

 

そして、暴走してきた私の生き様に、病気という形でストップがかかった。

 

もっと早く気づかなければいけなかったんだ…

 

ひとりで生きているんじゃない。

皆に支えられて生きているんだ。

私は生かされた。

だから、人に優しく生きていこう。

そして、苦労をかけて病気にしてしまった自分にも、これからは優しく生きていこう。

無理をせず、自分の出来る範囲で誰かの役に立とう。

 

みんな、ありがとう…

私、ありがとう…

 

これが、入院中に考えた事。

そして、病気が私に教えてくれた事。

 

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入院中惨(みじ)めだったこと

洗髪の許可が出て数日経った日のこと。

 

シャワーを浴びる時、予約時間の数分前には部屋を出られるよう手際よく出来るようになっていた。

 

①前もって看護師さんに声をかけ点滴針の処置をしてもらい、

 

②お風呂セットと着替えを準備して、

 

③目を閉じられない左目に濡れても大丈夫な貼る眼帯をして、

 

④浴室へ→

 

 

そして術後は頭を下に向けてはいけないと言われていたので、いつもの様にやや上を向いて顔にかからないようシャワーで髪を濡らし、洗髪を始めた。

 

(傷口を圧迫するので天井を仰ぎ見ることができません。)

 

 

洗髪中に髪の毛をゴシゴシする振動でふらつきが出ないようにゆっくりとシャンプーし、顔にかからないようゆっくりと丁寧に流す。

 

ところがその日、慣れからくる気の緩みが出たのか、いつもより勢いよくシャワーを当ててしまったのだ。

 

次の瞬間、顔中に大量の泡とお湯が流れた。

 

いつもはシワが寄らないようキレイに貼ってあるはずの眼帯も上手く貼れていなかったために、ゴボゴボと眼帯のシワの隙間から泡とお湯が入ってきて眼帯の中に溜まっていき、まるで溺れているかのように一瞬パニックになってしまった。

 

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でも、すぐ我に返り、

 

『落ち着け。落ち着け。』

 

と自分に言い聞かせ、貼る眼帯の中で水没している目を救出すべく眼帯を剥がし、何とかシャンプーを流した。

 

洗い流す時にシャンプーやトリートメントが目にしみて痛かった。

 

 

 

情けなかった…

 

惨めだった…

 

数十年間、ずっと普通に出来ていた事が出来なくなってしまったなんて…

 

部屋に戻って鏡を見ると、左目は赤く充血していた。

 

慣れは怖い。

昨日まで、あんなに用心して流していたのに。

 

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相棒がお見舞いに来てくれた時にその話をした。

 

シャンプーハットでやれば?』

 

『それ、子供のでしょ?』

 

『大人用もあるんじゃないか?』

 

『本当に?』

 

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あったら、ナイスアイデアかも♡

 

退院したら買いに行こう٩꒰๑❛▿❛  ॢ̩꒱

 

でも、本当に大人用ってあるのかな?

 

 

 

とにかく今回のことを肝に銘じ、洗髪を含めて何かをする時は丁寧にやらなきゃと反省した。

 

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