負けるもんか! Emiの聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺の記録

聴神経腫瘍・三叉神経痛・顔面神経麻痺を患い、肋間神経痛・頻脈もある私の備忘録。

母、一日に2度の救急搬送で…その2

病院のロビーで車椅子を降りた母と腕を組みながらゆっくり車へ向かった。

 

表では病院の入り口近くに車を止めて夫が待っていた。

 

〝助手席と後部座席とどちらに座る方が楽だろう?〟

 

と考えて、

 

〝助手席のシートを倒して横になった方が楽かも〟

 

と思って座席を整えようと母から離れたちょうどその時、夫が後部座席のスライドドアを自動で開けた。

 

一瞬の出来事だった‼️

 

乗車するため母はゆっくりと車を伝って歩いていたが、急に開き始めたスライドドアに体と足元を取られ、ゆっくりと開くスライドドアと一緒にそのまま後ろに倒れて後頭部を思い切りアスファルトに叩きつけられてしまった‼️

 

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『ママ❗️ママ❗️大丈夫‼️』

 

ギュッと目を瞑り、後頭部を手で押さえながら、

 

『痛い…痛い…』

 

と母。

 

『誰かー❗️夫❗️病院の人呼んできて‼️』

 

 

病院の人が来て事情を説明したが日曜だったため、この病院には専門医がいないので別の病院へ搬送される事になった。

 

〝こんな目の前に病院があるのに何でよ‼️〟

 

そう思いながら救急車が来るまでの時間が長く長く感じられた。

 

別の病院へ向かっている間、朝からのあまりにも衝撃的な出来事に胃が落ち込むような感覚…

 

でも、そんな中、母を乗せたこの車が少しでも早く進めるように端へ寄って道を譲ってくれる沢山のドライバーの方々の気持ちが痛いほどありがたかった。

 

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そして、

 

〝みなさん、ありがとうございます〟

 

と何度も何度も心の中で呟いた。

 

 

初めの病院から30分ほどの別の病院へ到着し、母はまた救急隊員の方々と処置室へ。私は待合室のような部屋で待っているよう言われた。

 

私のほかに2人。少しお年を召されたご夫婦だった。

女性が声をかけてくださって少し受け答えしたが、話が長くなったので少しずつ相づちを曖昧にして話を終わらせた。

 

今は母の容体が心配すぎて、話せる気分じゃなかったから。

 

とても汗ばんだ手を強く強く組んで、さっきと同様、母の無事を祈り続けた。

 

どの位経っただろうか?

看護師さんに呼ばれてカーテンで仕切られただけの処置室のような場所へ案内されると若い医師がいて、CTの結果を伝えられた。

 

急性硬膜下血腫

 

後頭部をアスファルトに強打したことで、脳内出血を起こしているため、このまま入院して血腫がどのようになっていくか経過観察。脳出血が止血され、脳内に吸収されればオペは無しと、説明された。

 

〝こんなに後頭部を強打したのに、経過観察⁉️他の箇所ならすぐに止血してもらえるのに…〟

 

いたたまれない気持ちでいっぱいだった。

 

母の目が覚めた。いつの間にか眠っていたのか、麻酔か何かをしたのかわからないが、

 

『ここ、どこ?』

 

と別の病院へ救急搬送され検査してもらった説明をした。

 

『なんか、少し寒い』

 

母の足はとても冷たくて、病棟に行くまでずっと手でさすったり握ったりしながら温めてあげると、

 

『温かくて気持ちいい』と母。

 

そして、

 

『Emi、朝からほとんど食べてないからお腹空いたでしょ。ごめんね、こんな事になっちゃって。』

 

とか、

 

『ぬかみそは毎日かき混ぜなきゃダメよ』

 

など、私の食事のことやぬかみそのこと、家のことや家族のことを頭が相当痛いはずなのに、こんな時にまで心配していた。

 

『まずは、自分のことだけを考えてね。今は良くなることが先決だよ。』

 

と言っても、『Emiに迷惑かけちゃうね』

 

と、私に気遣い声をかけてくれる。

 

ありがとう。でも本当に今はただただ、回復してくれることだけを願っているから、ゆっくり静養してね。

 

 

お読みいただきありがとうございました。